スカートの裾がほつれた「あぁもうだめだと」ぼやいた

GOGO7188の曲の歌詞なんですけども。

 

すごく好きです。

その状況がこれだけのセンテンスですごくわかるじゃないですか。

 

なんていうか、感情の、限界点、というか・・コップの水が溢れる手前の状況まで追い込まれていた

そこから、スカートの裾がほつれるという些細なことで水が溢れて、とまらなくなる

 

ただ生活しているだけで限界がきたんだということが

この一文にこめられているというか。

好きです。

オットマンがほしい

オットマン(椅子用の足置き)を買うと高いから、ダンボールで代用している。
ただのダンボールだとすぐ潰れるから、2Lのペットボトルお茶を箱買いしたダンボール、お茶が入ったままの状態で使用している。
お茶は一本一本消費していくので、そのうちダンボールは潰れる

友達が家に来たときの話

友達「そいやさっき電車の中で本読んでたな」

ぼく「ああ、これ今読んでる本」

思いわずらうことなく愉しく生きよ:江國香織

江國香織の文章が好きでたまに読むのだ。

友達「・・・自己啓発本?」

確かに自己啓発にもありそうな名前だ。

「違う、えっと多分恋愛小説・・・?」

「ふーん」

まあ確かに何も知らなければタイトルだけ見れば、

自己啓発本と思うこともあるのかもしれない。

「あ、今暇で読む本探してるんでしょ、ダブってるのあるからこれとかどう?」

最近本棚を買ったが、本棚を買う前はダンボールに本を詰めてたので、買ったのを忘れたか探すのが面倒だったかなにかでダブってる本が数冊あったのだ。

「これも自己啓発本・・・?」

「違う」

いやいやいや。

「結構有名なSFだよ。たった一つの冴えたやり方」

確かに自己啓発本にもありそ・・いやいやわりと有名なタイトルだろこれ。

「少女が宇宙船にのって・・えっと、知らない星に行く話」

「そりゃ知ってる星には行かないだろ」

「えっ。あ、いや、行ったことあるところに行くかもしれんやん」

「それだと(小説の)お話にならないだろ」

「そらそうだ。」

僕の察しが悪すぎた。

確かに、SFで、行きなれている場所に旅立つ話は少なそうだ。

 

というかなんでそんなに自己啓発本だと思うのだ

僕の本棚に多分自己啓発本はないと思う。

たぶん、と言ったのは、

例えば坂口安吾堕落論自己啓発だと言われたらどうしようもない。

「堕落せよ」と啓発していると言えなくもない。

例えば三島由紀夫の行動学入門をry

 

まあいい。

たまたま友達と話題に上がった小説が自己啓発本だと勘違いされた、というだけのオチのない話だ。

三次喫煙がなんたらって記事をみた

そこまで言うならもう法律で禁止しろよと思いました。

 

まあでも有害かどうかはまだ実証されてないって記事に書いてた。

これでもし、例えば、排気ガスと比較して有毒性が無かったら、嫌煙の人は車も禁止しろって言うんですよね。